アラン 個展「communicatio – コムニカチオ」[ 7/20 (fri) – 8/12 (sun) ]


 

 

TAV GALLERYではこの度、1991年生まれ鳥取県出身の若手作家であり、美術家・梅津庸一が率いるパープルーム予備校に所属するアラン (三浦阿藍) の初個展「communicatio – コムニカチオ」を開催いたします。

アランは、美術領域のみに捉われず、アーティスト/ゲームデザイナーとして作品を制作しており、本展では、複合的な意味性を持つ概念「コミュニケーション」をコンセプトにした新作ボードゲーム「communicatio – コムニカチオ」をリリースし、芸術論や現代思想においてゲームの価値づけが行われる中、新たな「ゲーム」の可能性を提示します。

また、本展の期間中には、関連企画として中央本線画廊にて、アランとTAV GALLERY、新芸術校卒業生であるアーティスト・cottolinkの合同企画として、作品を「ゲームでの行為」と捉え直し、アーティストを「プレイヤー」という位置づけでキュレーションを試みるグループ展「ゲームポリヘドロン」(参加作家は、アラン、今井新、海野林太郎+田中勘太郎、岡田舜、中島晴矢、明源の計6名) を同時開催いたします。

オープニングレセプションは、「ゲームポリヘドロン」との合同パーティとして、TAV GALLERYにて開催し、批評誌『アーギュメンツ#3』の編集人を務める批評家・黒嵜想と仲山ひふみとアランによるトーク・ショーを開催いたします。皆様の沢山のご参加をお待ちしております。

 

TAV GALLERY STAFF

 

 

開催概要

 

名称 : アラン 個展「communicatio – コムニカチオ」
会期 : 2018年7月20日 (金) – 8月12日 (日)
会場 : TAV GALLERY (東京都杉並区阿佐谷北1-31-2) [03-3330-6881]
時間 : 13:00 – 20:00
休廊 : 水曜、木曜

レセプションパーティ : 7月20日 (金) 18:00 – 20:00
トークイベント : 7月20日 (金) 19:00 – / アラン× 黒嵜想 × 仲山ひふみ (入場無料)

 

 

関連企画

 

名称 : ゲームポリヘドロン
会期 : 2018年7月20日 (金) – 8月12日 (日) [会期中の金曜、土曜、日曜のみ開廊]
会場 : 中央本線画廊 (東京都杉並区上荻4-6-6)
時間 : 13:00 – 21:00
休廊 : 月曜 – 木曜

参加作家 : アラン、今井新、海野林太郎+田中勘太郎、岡田舜、中島晴矢、明源
ディレクター : アラン、cottolink、佐藤栄祐

 

 

作家プロフィール

 


(Photo by KO-TA SHOUJI)

アラン / 三浦阿藍

1991 鳥取に生まれる
2014 成安造形大学芸術学部芸術学科卒業
2015 鳥取大学大学院地域学研究科中退後パープルーム予備校2期生になる
2017 ボードゲーム制作チーム 「arquetendu」を結成

[主な個展]

2018「communicatio – コムニカチオ」TAV GALLERY、東京

[主なグループ展]

2015「パープルーム大学物語」ARATANIURANO、東京
2015「”KITAJIMA/KOHSUKE”#12 〜果ての二十日の81〜」カタ/コンベ、東京
2016「パープルタウンにおいでよ」パープルーム予備校他、相模原
2016「X会とパープルーム」もりたか屋、いわき
2017「パープルームのオプティカルファサード」ギャラリーN、名古屋
2017「パープルーム予備校生のゲル」エビスアートラボ、名古屋
2017「恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画」ワタリウム美術館、東京
2017「パープルーム大学 先端から末端のファンタジア」ギャラリー鳥たちのいえ、鳥取

web : https://twitter.com/alanmiura91

 

 

本展に寄せて

 

本展のタイトルでありゲーム作品のタイトルでもある「communicatio – コムニカチオ」とは「communication – コミュニケーション」の語源で「共有する」とか「分かち合う」というような意味だ。「コミュニケーション」が「交流する」だとすれば、その前提に文脈(コンテクスト)の共有が必要ということだと私は理解している。

コミュニケーションには文脈(コンテクスト)の共有が必要と仮定したが、それは文脈(コンテクスト)が共有されなければ「意味のある選択」ができないからだ。意味のある選択とは選択する人にとって「選択した」という実感を伴って結果が現れるような選択である。逆に言えば、意味のある選択にはどこかから適切なリアクションがあるということになる。これが(結果の良し悪しは別にして)理想的なコミュニケーションの一つだろう。

ここまで何度かコミュニケーションという言葉が出て来たが、私はコミュニケーションを「2つ以上のものの間で行われる情報のやり取り」と考えている。ものは生き物でも生き物でなくてもよく、また自分Aと自分Bのような自問自答形式でもコミュニケーションである。情報は物理的な存在でもそうでなくても構わない。コミュニケーションというと「人間同士がうまくやりとりすること」という意味合いで認識されがちだが、決してそれだけがコミュニケーションではない。コミュニケーションという概念は非常に汎用性の高いものである。

ここまでのことは一般的、普遍的なことで、何を今更と思う人も多いかもしれない。しかし、ここまでの内容はゲームにおいても全て適用可能な考えであり、アートという一見曖昧なルールに基づくゲームも例外ではない。ここまでのことが満たせていない作品は評価されにくい傾向があるだろう。また、フレーバーの差異化により新規性を担保する手法はあらゆる創作物でなされているが、私はそこにそれほど価値を見出していない。

私の根本的な主張は、現実世界にある事柄を抽出したものがゲームであり、それ故にゲームは現実世界の事柄に変換し直すことができるということだ。そして私の試みは、未だ明らかになっていない世界のルールを解明し、より遊べる世界にしていくことだ。

 

アラン