鈴木操 個展「記憶喪失の石灰 – Amnesia Lime -」[ 5/23 (sat) – 5/31 (sun) ]
「物質が持つ身体性・時間性」をテーマに彫刻作品を制作する作家・鈴木操の個展「記憶喪失の石灰 – Amnesia Lime -」を、5月23日 (土) から5月31日 (日) まで開催します。
鈴木操は、1986年生まれ、文化服装学院卒業という経歴であり、ファッションにおける身体性の解体と再構成という現代的な主題を創作活動の起点としながらも、芸術表現の領域の拡大という同時代性に向き合うなかで彫刻による表現に導かれ、現在は、彫刻における身体性、あるいは物質・物語が内包する時間性をテーマとする、物質と概念の両面からスタイルを構築する作家です。
本展では、漆喰を素材とした具象彫刻および創作の軌跡としてのドローイングを展示。壁の上塗りなどに用いられる漆喰という伝統的な素材によって彫刻を制作するに至った経緯については、鈴木操は、本展ステートメントのなかで、次のように語っています。
「私は3.11以来、日本の風景、建築、国土、エネルギー資源、都市といったものへの関心を高めてきました。なぜかといえば、放射能による汚染や政治のゆがみ、原発の存在といった問題に直面した時、そういった現実が、少しずつ私の活動を導いていったからです。(中略) そんな中、私は2013年の夏、静岡の松崎にて、入江長八という江戸から明治期にかけて活躍した左官職人の鏝絵という漆喰作品と出合い、魅了されました。これは私にとってすごく大きな出来事でした。そして直感的に、「もしこの鏝絵を始めとする漆喰文化が、近代化の中で廃れずに発展していたら、現在の文化や素材の扱い方はどうなっていただろうか。漆喰を方法とすれば、別の日本のあり方や軸が見えてくるのではないか」と考えました。」
漆喰を用いて作られる浮き彫り細工である鏝絵 (こてえ) に魅了されたことをきっかけに制作された本展の作品は、平面作品の物質化、その先の未来性を示唆するという点において極めて現代的であり普遍的でもあるテーマを内包していると言えます。漆喰という伝統を現在の視点から解釈することで生み出される芸術の新たな展開にご注目ください。
また、本展では、5月31日 (日) に、1980年代生まれの中で最も期待される日本・アジア系デザイナーの一人として注目を集め、近年はFERGIE (ブラックアイドピーズ) のワールドツアーの衣装、レディーガガ[Lady GAGA]への衣装提供が話題となるファッションブランド「YUIMA NAKAZATO」の中里唯馬とのエキシビジョントークを「art to fashion / fashion to art」と題して開催します。
TAV GALLERY STAFF
作家プロフィール
鈴木操
1986年生まれ。文化服装学院卒業。「物質が持つ身体性・時間性」をテーマに主に彫刻作品を制作。主な個展に「月ニテ、、、、人間人形ノ糸ヲ引ク」(2009年 マキイマサルファインアーツ [東京])、「スクいのlAST rESORT」(2014年 XYZ Collective [東京])。主なグループ展に「Artists Night Vol.1」(2010年 0000 Gallery [京都])、「¥2010 exhibition-spring」(2010年 0000 Gallery [京都])、「¥2010 exhibition -Summer-」(2010年 同時代ギャラリー [京都])、「Creative Fantasista 2011」(PARERGON名義)(2011年 VACANT [東京]) などがある。
開催概要
名称 : 鈴木操 個展「記憶喪失の石灰 – Amnesia Lime -」
会期 : 2015年5月23日 (土) – 5月31日 (日)
会場 : TAV GALLERY (東京都杉並区阿佐谷北1-31-2) [03-3330-6881]
時間 : 11:00 – 20:00
休廊 : 木曜日
OPENING PARTY : 2015年5月23日 (土) 17:00 – 20:00
関連企画
□ 5月31日 (日) 17:00 – 19:00
EXHIBITION TALK
鈴木操 × 中里唯馬 (YUIMA NAKAZATO) 対談「art to fashion / fashion to art」
中里唯馬 (YUIMA NAKAZATO)
デザイナー。1985年生まれ。天性の素質で独学で服作りを学び、高校卒業後、2004年に「アントワープ王立芸術アカデミー」のファッション科に入学 (ベルギー)。4年間の修行を経て2008年には、卒業作品が世界的デザイナーのアン・ドゥムルメステール氏から賞を受賞したほか、満を持して2009年、自身のブランド「YUIMA NAKAZATO」をスタート。様々なコンクールに応募し、これまで海外にて様々な賞を受賞している。2012年3月には海外での高い評価が認められ、メルセデスベンツの支援デザイナーに選出され、東京コレクション (JFW) のオープニングのショーを担当した。国内はもちろん、世界中のファッション関係者から破格の扱いを受けており、1980年代生まれの中で最も期待されている日本・アジア系デザイナーの一人となっている。アーティストへの衣装提供でも有名で、近年はFERGIE (ブラックアイドピーズ) のワールドツアーの衣装、レディーガガ[Lady GAGA]への衣装提供で話題となっている。
ステートメント
私は3.11以来、日本の風景、建築、国土、エネルギー資源、都市といったものへの関心を高めてきました。なぜかといえば、放射能による汚染や政治のゆがみ、原発の存在といった問題に直面した時、そういった現実が、少しずつ私の活動を導いていったからです。
単刀直入に、私は今の状況に対応する新しい芸術が必要だと感じています。それは何も私だけではなく、様々な美術家やアーティストが日々直面し、打ちのめされ、推進しているはずのリアリズムだと思います。
それにしても、この強迫観念めいたモチベーションは恐ろしいもので、もはやこの強迫観念こそが現在の美術家やアーティストの条件になっているように見えます。けれど、これは恐らく時代に由来する感覚的な志向性であり、この志向性こそが、過去のアヴァンギャルドなムーヴメントが持っていた一つの性格であったことを、私達は今一度思い起こすべきかもしれません。
私は、かつて坂口安吾が言ったような健康な生活を、自分を含めて現代の日本人が保てなくなってきていると感じています。そしてブルーノ・タウトが初めて日本を訪れた時のように、自分自身が日本を別の視点から「再発見」せざるをえないという精神的な居心地の悪さを抱えてきました。これは日本に対する感傷などといったものとはほど遠く、吐き気のする気持ち悪さであり、ジレンマです。
そんな中私は2013年の夏、静岡の松崎にて、入江長八という江戸から明治期にかけて活躍した左官職人の鏝絵という漆喰作品と出合い、魅了されました。これは私にとってすごく大きな出来事でした。そして直感的に、「もしこの鏝絵を始めとする漆喰文化が、近代化の中で廃れずに発展していたら、現在の文化や素材の扱い方はどうなっていただろうか。漆喰を方法とすれば、別の日本のあり方や軸が見えてくるのではないか」と考えました。
なぜこのような直感を得たかと言えば、それは私の幼少期に由来します。
私は幼少の頃、よく曾祖父の生まれ変わりと家族から言われ、そして青年期を迎えた頃に祖母から雰囲気が曾祖父に似ていると言われたことがありました。曾祖父は日本郵船の船長でヨーロッパやアフリカ、東南アジアなど世界各地を行っていました。そして家にはその際手に入れた民芸品や美術品がたくさん陳列されており、私は幼少時代にそれらの物から大変影響を受け、現在に至るまでの、形に対する関心のベースとなっています。
私は曾祖父とは一度も会ったことがないのですが、私自身、家族から言われたことを真に受け、曾祖父の生まれ変わりだと信じ、その世界観を生きてきました。
そして一度も会ったことのない曾祖父と「生まれ変わり」や「雰囲気」という感性的な部分でリンクし、自らの内にある「潜在的な時間性」ついて、ずっと思考してきました。
その時間性とは例えば、文化人類学的に語られる、ある地域が持つ固有の時間性といった時間が持つ空間強調性や、時間を空間的に認識するようなものではなく、もっと直感的に自らに沸き立つ、何かの兆しのような、空間を必要としない時間性です。
私はこの時間性が、すべてのものにあると考えていて、実際に松崎で入江長八の漆喰作品に出合った時それを感じ取りました。
私にとって漆喰との付き合いは、漆喰が持つ潜在的な時間性を感じ取ったところから始まっています。私は漆喰の持つ時間性を深く知り、そしてそれと付き合い、楽しみたいと考えています。そのためには漆喰の思考や雰囲気を感じ取り、その要求に応えたり、あえて応えなかったり、色々と漆喰に関してやるべきことがあると考えています。
それは例えば、秩父の武甲山についてです。武甲山は石灰石の採掘場として有名ですが、その山の姿はいびつなピラミッドのように削れ、不気味な形をしています。かつて石灰石は漆喰の原料として使われていましたが、現代においてはセメントなどの原料として大量に採掘されています。武甲山を見ていると、この山はいつか使い尽くされ、消滅するのかもしれないという予感と、それを否認したい矛盾した感覚に襲われます。
現代において物を作っている、あるいは物を作りたいという欲望を抱えている以上、この矛盾を引き受けることは重要だと考えます。
この矛盾についてさらに言えば、コンセプチュアルアートが持つ非物質化的な方向性と、原発推進的な方向性が、発想の根本において似ていることを言及する必要があるかもしれません。
つまり、地球上のエネルギー資源が「有限」であるという事実、物質の有限性にどのように対応するべきかという意思について、これらに共通する部分があるということです。
私がコンセプチュアルアートの非物質的な態度に警戒する理由は、我々がどのような環境条件の中で芸術を含めた人間の営みを行っているかという観点に対する欺瞞を感じるからです。その意味で、物質的なものとの付き合い方まで織り交ぜたコンセプトと、それを認識する上でも、矛盾を抱え、観念と物質の摩擦が生じるポイントでの作品制作が必要だと私は考えます。なぜなら、物を作ることがこんなにも一般化した時代において、その喜びを肯定するためにも、新しくマテリアルの扱いに関するコンセプトやヴィジョンを提出する必要があると考えているからです。
そして今回展示する作品は、鏝絵の歴史・左官文化の歴史を基点に、ありえたはずの歴史的発展、実現されることのなかった漆喰の未来性を、現在の視点から展開する彫刻シリーズです。その最初の展開として、彫刻史の観点から左官文化を解釈し、壁に縛られている前近代的な鏝絵の形式から自立した、漆喰による具象彫刻を制作しています。
最後に素直にひっくり返すことを言いますが、実は今までお話してきた様な意味づけや経験から漆喰を解放するために、私は制作しています。本当は単純に漆喰と自由に遊びたいだけなのです。このような私の矛盾を含めた漆喰のヴィジョンが、展示を通して少しでもみなさんに伝わり、あらゆるものへの感覚的な関心が高まったら幸いです。
鈴木操
[参考画像]