「3331 ART Fair – Contemporary Galleries 2017 – 」 [ 5/19 (fri) – 5/21 (sun) ]


 

 

この度、TAV GALLERYは東京都内で開催された、三つの展覧会、磯村暖「地獄の星 Planet of Hell」(TAV GALLERY)、Chim↑Pom 企画、平井有太「ビオクラシー ~BIOCRACY~」(garter gallery)、カオス*ラウンジ企画、三毛あんり「肖像画展」(ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ)をVR制作編集クラウドソフト、3D Styleeを活用し、物質的な作品を除いた、VRヘッドセットのみを使用し、上記の三つの展覧会のアーカイブを3331 Art Fair -Contemporary Galleries 2017-にて出展いたします。

 

TAV GALLERY

 

開催概要

 

名称 : 3331 ART Fair – Contemporary Galleries 2017 –
会期:2017年5月19 (金) – 5月21日 (日)
会場 : 3331 二階 体育館 (東京都千代田区外神田6丁目11-14)
時間:5/19 13:00-20:00, 5/20 11:00-20:00, 5/21 10:30
出展者:磯村暖、平井有太、三毛あんり

協力: Chim↑Pom、カオス*ラウンジ、3D Stylee

 

作家プロフィール┃出展展覧会概要

 

■磯村暖「地獄の星 Planet of hell」(2016年9月3日- 9月13日)

 

今回、私はタイの地獄寺と呼ばれる仏教寺院に存在する餓鬼の彫像群をメディウムとし、制作を行った。

地獄寺は「生者の居る地球」と「餓鬼の居る地獄」を分けているボーダーを曖昧にしている空間である。

グローバリズムという概念と地獄寺の出現は1970年代頃で重なっている。多様な価値観や文化の交わるようになった時代では、前時代的な「善悪の公式」は破綻し、地獄とこの世のボーダーがなくなり接続され、餓鬼がそれまでの地獄絵図だけでなく立体としてこの世に現れるようになったのは自然な流れであったと考察する。

様々なボーダーの消失により各所で摩擦が生じているポスト•グローバリズムの現代において、人間の想像によるところの地獄や餓鬼達は如何なる姿で表出されるだろうか。

地獄の星から、生者の星を眺めよう。

web : https://tavgallery.com/hellstar/

磯村暖

Curated by TAV GALLERY

 

■ 平井有太「ビオクラシー ~ BIOCRACY~」(2016年11月22日-12月24日)

 

社会は「デモクラシー(民主主義)」という、しがらみまみれの多数決に頼ってきて、この体たらくである。「本質はそうじゃない」という議論はいらなくて、現実にどう機能しているかを捉えなければ、未来はない。

小難しい言葉で聞き手を煙に捲き、したり顔で悦に入る専門家の類にも辟易している。唯一確かなのは、コトの「最前線」は一般市民の日常生活であること。つまり、私たちの「自覚」が、社会の底上げに直結する。

「ソーシャルスケープ」とは行為であり、人々が抱える想いと、拙くともその口から実際に紡がれた言葉で、社会のかたちを浮かび上がらせる。

「ビオクラシー」は、原発事故後に福島県内外でソーシャルスケープを続ける中で、見つけた。それは「どうやら、年齢も立場もジャンルも違う人々が同じことを言ってないか?」と気付き追いかけた先にあった、新しくも普遍的な価値観であり、姿勢だ。

「BIO(ビオ)」は「生」、「―CRACY(クラシー)」は「支配」、「政体」を意味する。

そのまま訳せば、「生命主義」。

それは、命より経済を重んじ環境破壊や戦争を起こす資本主義はもちろん、デモクラシーの先、または根っこにあるものだ。私は、1973年にNYはブロンクス地区で生まれた「ヒップホップ文化」に多大な影響を受けている。おのずと、311以降自分の中で繰り返された言葉は「福島が、ヒップホップ誕生前夜のブロンクスになってしまった」だった。

新しい「表現」は、社会に混沌や抑圧が生じ、ある世代や層に過度な負荷がかかった時に生まれることは、歴史が証明している。しかし福島で実際目撃したのは、国や県、東電が、大前提となる汚染の実態把握すらしないまま安全論に終始し続ける姿。それに起因して、「放射能の測定」という大前提の行為に、人間の創造力を総動員せざるをえない状況があった。

その最前線に、農業県を支える農家と、撒き散らされた放射性物質との共存を強いられた母たちが、望まずして立っていた。

「前衛」があるとして、それは私たちの生活だ。

私たちが日々「お金を支払う先にあるもの」、プラグを挿した「コンセントの向こうにあるもの」。
敵は無関心の先、自分の中にある無自覚だ。
私たちが呼ぶ「可能性」とは、日々の生活を指すのだ。

web:http://chimpom.jp/artistrunspace/

平井有太

Curator, Chim↑Pom

 

■三毛あんり 「肖像画展」(2017年3月17日-3月26日)

三毛あんりは、「現代の上村松園になりたい」と言う。おそらく、三毛の作風を知る者にとって、その宣言はアイロニーとしか考えられないだろう。しかし、本人はいつでも、そしていたって真面目に、そう言うのである。
上村松園といえば「美人画」である。美人画というジャンル自体は古くからあるが、言うまでもなく、上村松園が描いた大正期の美人画は、それ以前とはまったく異なっている。

近代以降の美人画は、明治期に創設された「日本画」というジャンルのなかに属している。つまり、「日本」という国民国家の構成員が等しく美しいと感じるであろう「美人」という新しい対象を作り出したのである。
もちろん、「みんなが美人だと思う人物像」など、虚構であり捏造である。しかし、初期近代におけるその営みは、「日本」という国民国家を成立させ、それを表象する「日本画」という新ジャンルを創設した日本近代美術の動向とパラレルだ。「日本」や「日本画」と同じように、架空の「美人」が新たに作られなければならなかった。そして上村松園は、そのミッションを完璧にこなしたのである。
さて、やはり三毛は、上村松園的な意味での美人画を描いているわけではない。では、三毛の宣言は、どのように理解されるべきか。手順を飛ばして結論だけ言えば、おそらく三毛は美人画の「ネガ」のようなものを描いているに違いない。
よく知られているように、上村松園が美人画を描いていた同時期、岸田劉生は、土俗的で不気味で猥雑なテイストの表現を「デロリ」の美学、と名づけていた。あたかもバケモノか妖怪のようにおどろおどろしく描かれた少女(麗子像)や花魁、舞妓たちは、当時にわかに成立した上村松園的な美人画の「ネガ」であっただろう。
美人画が描かれるとき、そこには同時に、必ず「ネガ」が現れる(江戸期にも「幽霊画」があった)。三毛の肖像画(それはすべて自画像だという)は、現代の美人画の「ネガ」である。

しかし、であれば三毛は、現代の劉生や甲斐庄であろうとしているのだろうか。そんなはずはない。なぜなら、現代はもうとっくに、上村松園的な美人画を失っているからである。現代において、「みんなが美人だと思う人物像」はでっちあげることすら不可能だ。だとすれば、美人画のカウンターパートとしての「デロリ」もまた、単独では意味をなさない。
おそらく三毛は、上村松園の美人画に、そもそも最初から、幽霊やデロリが入り込んでいることを見抜いていた。「みんなが美人だと思う人物像」と、その周辺に必ず現れてしまう「ネガ」を、同時に描こうとすること。
「現代の上村松園になりたい」という三毛の宣言は、このような意味で受け取られるべきだろう。

web : http://chaosxlounge.com/wp/archives/1975

黒瀬陽平

Curator, カオスラウンジ