荒井美波 個展「行為の軌跡III」[ 9/9 (sat) – 9/24 (sun) ]


 


 

9月9日(土)から9月24日(日)まで、文学作品の直筆原稿を、折り曲げた針金によって立体的に「臨書」する作品で知られる、荒井美波の個展「行為の軌跡Ⅲ」を開催いたします。

本展覧会は、荒井にとって、都築響一氏のディレクションによる「Trace of Writing」(トラウマリス)以来、3年ぶりの個展で、卒業制作「行為の軌跡――活字の裏の世界」(2012年)および、修了制作「行為の軌跡Ⅱ――詩における自運」(2014年)に続く節目として、荒井の制作における新たな展開をご紹介するものです。

針金による立体的な「臨書」は、「1画」を折るのに30分かかるとも、1日に折ることができるのは精々「2行」だともいいます。また、本展覧会のキューレーターである飯盛 希は、「光は、けっして「あたりまえ」に与えられたものではなく、私たちの恣意的な「まなざし」に他ならない」と述べ、「見る」ということの問題について指摘しています。パソコンやスマートフォンのディスプレイ上で文章を読むことが「あたりまえ」になり、直筆の文字に触れることの少なくなった今日、「書く」という「行為」に奉げられた熱量を改めて感じることのできる荒井美波の作品に、是非ともご注目ください。

 

 

TAV GALLERY STAFF

 

作家プロフィール

 

荒井美波 Minami Arai

 

1990年 東京生まれ
2015年 武蔵野美術大学 大学院修士課程視覚伝達デザインコース卒業

 

[主な展示]

2017年 個展「行為の軌跡III」TAV GALLERY
2014年 個展「Trace of Writing」TRAUMARIS
2014年 「生誕105年 太宰治展」神奈川近代文学館にて太宰治「人間失格」作品展示

 

[主な受賞歴/活動]

2016年 1WALL えぐちりか賞
2014年 武蔵野美術大学大学院修了制作 優秀賞受賞
2014年 一青窈『紙重奏』作品提供
2013年 MITSUBISHI CHEMICAL JUNIOR DESIGNER AWARD2013佳作受賞
2012年 平成24年度武蔵野美術大学卒業制作 優秀賞受賞
2011年「木からできたブックカバー」グッドデザイン賞受賞

 

web : http://minamiarai.com

 

開催概要

 

名称 : 荒井美波 個展「行為の軌跡III」
会期 : 2017年9月9日(土)- 9月24日(日)
会場 : TAV GALLERY(東京都杉並区阿佐谷北1-31-2)[03-3330-6881]
時間 : 13:00 – 20:00
休廊 : 水曜、木曜

 

OPENING PARTY : 2017年9月9日 (土) 18:00 – 20:00

トークイベント : 2017年9月16日(土)18:00-20:00

伊藤啓太×飯盛希「展示照明ワークショップ――照明で変わる、作品の“見え方”と“見せ方”」(イベント入場料1000円)

 

展覧会に寄せて

 

まなざしの倫理――「行為の軌跡」と光の問題

 

荒井美波の「行為の軌跡」は、文学作品の直筆原稿を、折り曲げた針金によって、「立体的」に「臨書」する一連の作品である。ただし、荒井は、単に文字を「なぞる」のではなく、平面に他ならない直筆原稿から筆圧や筆順などの情報を読みとり、時間的な要素を加えて、筆致を再現しているのである。普段、私たちが文章を読むとき、文字の「書き始め」から「書き終わり」までの遅延について意識することは、ほとんどない。とりわけ、パソコンやスマートフォンで「書く」ことの多くなった今日では、「始まりも終わりもない」活字に馴化している。平面は時間の捨象された位相であり、そこには荒井の求める「行為」が抑圧されている。「行為の軌跡」が「立体的」でなければならないのは、彼女が、文字あるいは文章の意味や内容――つまり「書かれた」もの――よりも、むしろ「書く」という運動それ自体に注目し、テクストの生成する瞬間における出来事を再生しようと試みるからである。

しかし、「行為の軌跡」は立体的であるがゆえに、展示照明のもとで針金の影が落ちる。私たちが作品を「見る」ために設えられた照明のせいで、荒井の手によって再生された「行為」は、再び平面に射影され、表層に堕落してしまうのである。光は、けっして「あたりまえ」に与えられたものではなく、私たちの恣意的な「まなざし」に他ならない。伊藤啓太氏による展示照明のワークショップでは、「見る」ことの過失について意識しながら、文字通り、さまざまな観点から作品を見つめなおす。「行為の軌跡」という作品は、文豪たちの「行為の軌跡」であるだけでなく、荒井美波の「行為の軌跡」でもある。ならば今度は私たちが、いまだ――おそらく作者自身も――知らぬ、潜在的な「行為」に接近するために、目の前の作品を観察しなければならない。

 

 

飯盛 希